マクデブルクは、東方のスラヴ人と戦う際の要衝として重要な役割を果たした。 805年、カール大帝時代の文書に初めてこの名があらわれる。 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世が即位前に過ごした街としても知られる。かつてその宮殿が在った場所には、ドイツ最初のゴシック建築と言われる聖マウリトス大聖堂が立っており、オットー大帝とその妻エドギタの棺が安置されている。 968年に大帝によって司教座が置かれ、以後、大司教の保護の下で大いに栄えることになる。後にはハンザ同盟の一員となった。 1301年、ツンフト(同職ギルド)が市政参加を求めて蜂起したが失敗、首謀者が処刑された。 1524年、宗教改革に際しルター派に転じる。 マクデブルク大学は初めて創設されたルター派の大学である。 三十年戦争で打撃を受け(マクデブルクの戦い)、市長オットー・フォン・ゲーリケが復興に力を尽くした。 この市長は優れた物理学者でもあり、真空の実験(マクデブルクの半球)を行ったことで知られる。
エルベ川の左岸に位置し、郊外でミッテルラント運河とエルベ・ハーフェル運河がエルベ川と合流する。そのため、街にも河港があり水上交通の要所となっている。辺りは平地。近隣の都市としては、約75キロ西にブラウンシュバイク、75キロ南にハレ、100キロ東にポツダムが位置する。